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日々のつぶやき

2009年 11月 06日 (金)

 ヴィクター・フランケンシュタイン博士の製作した醜い形相の人造人間は、自分を創ってくれた博士に裏切られ、怒りと、そして大きな悲しみを抱いたまま北極の海に沈んでいきました。一介の映画監督から、見世物として連れて来られたキング・コングは、恋した女性アンを守るために街一番のビルに登り、そこで飛行機に蜂の巣にされて死んでいきました。度重なる水爆実験の影響によって変異した怪獣ゴジラは、最後には人間の作り出した酸素破壊剤によって、骨までもをドロドロに溶かされて、絶命しました。
 俗に言う”モンスター・パニック”という類の作品の見所というものは、怪物が暴れまわり、そこに住まう人々の惨劇が描かれる事ですが、そんな物語も最後には”平和な状態”に戻すために、怪物の最後のシーンを作るケースは多々あります。それはモンスター作品にとってみれば、暴れまわるシーンよりも重要な、クライマックスシーンです。
 先に上げた3つの作品は、どれも有名な怪物ものの物語であり、また後世のモンスター作品の元祖と呼ばれるものですが、これらの最後のシーンというのは特に悲壮感があり、印象に残ります。
 どの怪物も、人間の身勝手な業によって誕生、または来訪してきた被害者達。それによって、直接の当人ではなく外部の多くの人々に被害がおよび、事を沈めるために、人の手によって絶命させられる事になる。なんという皮肉。作者達は、このような皮肉を世の中に訴えたいが為に、このような怪物を生み出したのかと思うと、ただ怪物の迫力を堪能するだけでは受け止められないとても大事なものが、これらの怪物の中にあるのだと思います。
 後続の続編、リメイク作品は沢山ありますが、それらの娯楽作品の是非は別として、「元祖」と称される作品を見る時には特に注意して読み取っていきたい部分だと、つくづく思っています。

 この間の11月3日は文化の日でしたが、丁度、映画「ゴジラ」生誕55周年の日だった事もあってこんな内容の記事にしてみました。



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