過去の日記保存場
-The diary room-

2009年 10月 30日 (金)

 やたらと長い時間更新を怠っていましたが。
別に失踪したわけでも入院したわけでも死んだわけでもないのでご安心を。むしろお亡くなりになったのは祖父だったりするんですが。…祖母に続いて、まるで後を追うかのように天寿をまっとうされていきました…。

 暗い話ばかりしていられない。祖父や祖母は、これからは俺ら若い者が頑張らねばならない、いつまでも親や老人に頼るな、という事を考えて去られたのだ。世代交代は世の理也。

 このページのコンテンツは増やす予定はあるのですが、ちょっと個人的な事情が重なってまだまだ発表できるものではないというのが少し残念…。一応、新作の絵は少しだけ上げました。季節ネタの絵を一つ。

 今の時期は運動会が終わって、何故だか世の中はハロウィンムードなようですね。西洋のお祭りでこの日本にも馴染みの深いものはクリスマスとバレンタインなのですが、このままハロウィンも日本で恒例の行事になっていくのでしょうか?

 ハロウィンというお祭り、調べてみると、元々は古代ケルト人の収穫祭が元々だったようです。何でも、死者の霊があの世から戻って来たり、妖精さんや精霊が見えるようになる時期だという事で、早い話がお盆ですな。(古代ケル人は十一月一日が新年だったようです。)そういえば、この日本では毎年十月は神無月といいまして、国中の八百万の神々が一斉に島根県の出雲大社に集合してしまい、日本各地のありとあらゆる神様がその地方からいなくなってしまう月なのですから、十月はお化け達も今がチャンスとばかりに沸いてくるのかもしれません。ただ、ハロウィンは十月の三十一日。つまり、お化けとして行動を起こし始めても、たった一日でお化けの天下が終わっちゃうというのがとても間抜けですが。…次の日には、神様が戻って来ちゃいますからねぇ。


2009年 08月 18日 (火)

 蝉(セミ)。
 うだるような暑い夏、けたたましく鳴く虫。
 しかし、やかましいと思える鳴き声も、どこかで暑さを和らげてくれるような安心感を感じる時があったりします。
 朝の早い時間に唄いだすクマゼミ、日中ずっと騒がしくしているアブラゼミやミンミンゼミ、夕方に深々と鳴くヒグラシ、夏の終わりを告げるツクツクホウシ。
思えばセミが鳴いてくれるから、夏という季節を、元気にさせてくれるのかもしれない。
 「折角の夏なんだ。部屋の中に閉じこもってないで外に出てみなよ。賑やかで、楽しいぞ」
 セミの鳴き声は、部屋の中でエアコンをガンガンに利かしている私達に、そのように誘っているようで。

 "セミの一生の大半は土の中。表舞台で唄えるのは、その長い一生の、ほんの最後の一握りのみ"

 人の人生も、そんなものなのかもしれない。
他人に汚らしいと蔑まれ、誰にも注目されずに、土の中でただただ一心不乱に働いて働いて。
成虫になって、外で声高らかに鳴いている時の彼らは、それまで見向きもしなかったような人々に対して、報告をしているのかしれない。

 「おかげさまで、こんなに立派になりました」

 そんな事をみんなに知らせながら、セミは空を飛んでいく。
次に土の中から上がってくる、若い人々に何かを伝えるために。
抜け殻という、自分が積み上げてきた人生の痕跡だけを地上に残して。



 おばあちゃん、今まで、お疲れさまでした。


2009年 08月 12日 (水)

 お盆という事で、先日まで母方の実家にいってました。
先祖参りはもちろんですが、今回は急な病で入院してしまった祖母の見舞いが第一の目的。それと長いこと老人ホームにお世話になっている祖父の見舞いと、そして先日亡くなられた親戚への挨拶。

 ついこの間まで、元気そうに一人で歩いていた祖母が、病院で寝込んでいる姿を見た時は、とても衝撃的な光景でした。
もう老体なのだから、骨と皮だけの小さな小さな体になっていたのは解っていたけど、それでも元気ににこにこ笑っていた祖母が、何も見えない、聞こえない状態で、苦しそうにベッドに寝込んでいる。病気とは無縁のように思えたイメージが、いとも簡単に崩れ去っていきました。
もしかしたら、長いこと老人ホームで寝たきりになっている祖父よりも、先に亡くなられてしまうかもしれない。 そんな恐ろしい不安を抱きました。

「ああいう姿を見させて、次第に諦めさせていくんだ。」父も母も、半分は割り切ったように言っていたけれども。自分の親が同じような事態になったら、果たして自分は割り切れるだろうか。母がひっきりなしに寝たきりの祖母や祖父に呼びかけている姿を見ると、悲しさが込み上げてくると同時に、現実を認めたくないでただただ泣き潰れそうな自分と、仕方ないとあっさりと諦めてしまう冷酷な自分が同時に顔を出してきそうで恐ろしくなります。
冷酷な人間にならないように、努力しなければならない。人の気持ちをもっと真に受け止めれるように。

 一人暮らしに慣れる事で、考え方が自分中心になってしまう。それで本当に人の気持ちを考えて生きる事ができるのかな。そのような事を改めて考えさせられた盆休みでした。


2009年 08月 03日 (月)

 やっとだ…やっと自分のオリジナル専用ページを立ち上げる事が出来た…。苦労したなぁ。これからはこっちのページをメインに頑張っていこう。
 主軸は僕の個人イラストの紹介だけど、単なる絵描きで終わるつもりはこれっぽっちも無いんで、色々な事に挑戦していくぞ!












































ユリウス暦19xx年 ナナの月 xx日 (強婦の大王降臨祭)

 19xx年、世界は核の炎に包まれた。山は焼け、海は乾き、島は沈み、地は避けて村は間伐と大洪水に襲われ各地で震度100の大地震が発生し天からは雷鳴が轟き首都東京は大火災に見舞われて近所の親父はリストラクチャリングの対象になりそうな現状に機嫌を損ねて今度の休日の家族旅行は中止になるという前人未到の大災厄が全世界を襲った。あらゆる生命体は絶滅したかのように見えた……。
 しかし、人類は死に絶えてはいなかった。荒野と化した大地を、軽快に駆ける人類の姿がそこにはあった!だが、そこは力こそが全ての世界だった。力ある者は徒党を組み、弱者から食料を奪って往く。そして力のある者同士はさらに争い合い、逆らう者は女子供であろうとも皆殺しにされた。もはや、この世には地獄しか残っていないかのようであった。
 だがそんな時、たった一人で弱者に味方せんとする男がいた。その男はやがてメシアの再来と人々に称されるまでに至った。これは、明日無き者を救助せんと立ち上がった、一人の世紀末救世主の愛と悲しみと思春期によくあるちょっぴり切ない青春の初恋を描いた感動大作である。

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